忍者ブログ
[52]  [51]  [50]  [49]  [48]  [47]  [46]  [45
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

不幸の連鎖の原理がやっとちょっと分かった。


人が不幸な生き方を選ぶ理由の多くは、やっぱり諦めなんだと思う。
下半身不随になっても、事故で脳性麻痺になっても、自分の人生を諦めないで幸せになってる人は沢山いる。
俺の知り合いにもいる。


悲惨な出来事が人を不幸にさせるんじゃなくて、諦める事が最も人を不幸にさせるんだと思う。

人が心から望むものを諦める時、何がそうさせるのかを超考えた。

それは、誰からも理解されない、誰からも認めてもらえない、誰からも必要としてもらえないっていう状況なんだと思う。

今ここにいる自分を誰かに認めて欲しい、自分が心の奥底に抱えてるものを誰かに分かって欲しい、自分っていう人間を心から必要として、自分が下手こいても見限らないでいて欲しい。

そういう願望が全く叶わないまま、その願望のためにした努力が報われないまま生きてると、人はやがて望む事を諦めてしまう。

望んだって無駄。
望んだって辛いだけだし。
なら望まないのが一番だよねっていう風に。


どこかで自分の声にリアクションしてくれる人が現れても、その自分を認めてくれる声を心から信用する事が出来なくなる。

どこかで自分を本当に愛して必要としてくれる人間が現れても、その人が自分に傾けてくれる愛情を愛情だと感じ取れなくなる。


そして自分自身が誰からも認めてもらえないまま、自分が愛されてる実感を得ないまま、誰かを心から認めたり深く愛するなんて事は出来ないんだと思う。


そして愛せない、愛されない、認めてもらえない、認める事が出来ない人が増えると、その諦めた人たちに四方を囲まれた人もやっぱり愛してもらえないし認めてもらえないから、やがて自分の心からの願望を諦める。

そうやって、諦めは拡散されていくんだと思う。


俺もまさに、ほんの今の今まで諦めを撒き散らす側だった。
俺自身、もう愛される事なんてほんと諦めてた。
いくら俺が本気で自分の心を曝け出したって、誰も見向きもしてくれないし、こんなの認められっこない、理解なんてされっこないって思って諦めてた。

愛されたい、認められたい、でも無理。
だからわりかし簡単に手に入る種類の幸福にだけ手を伸ばして、そういうもので人生を埋め尽くして、本当の本当に一番望むものを覆い隠して見えないようにして、そうやって満足する。

俺は、この5年間ずっとそうやって生きてた。

諦めた俺のする何もかもが、誰かの諦めを助長してきたんだと思う。
いくら俺が誰かに希望とか可能性を説いたって、それはやっぱり所詮「諦めた奴の言葉」でしかなかったんだと思う。
そんな俺の言葉は誰にもとどくはずなんて無い。
だから何も変えられなかった。

ほんとに心から糞だったと思うし、この何年かで関わりあった人全員に申しわけないって思う。

俺変わりたい。
本気で変わりたい。

ほんとは愛されたいし、幸せになりたい。
ずーっと目を逸らしてた幸せな風景を目の当たりにして、やっとそう思えた。
目を逸らしちゃえば楽だって分かってるのに、出来ない。
自分が本当の本当には何を望んでるのか、俺自身ほんとはずっと分かってたからだ。

本当に心から深く誰かを愛して、誰かに深く愛されて、認めてもらいたくて、認めてあげたかった。
それが本当に心からの俺の一番の願望だった。
ずっと。


両親と俺はずっと昔から仲が悪くて、でもここ数年で超巻き返しを図って仲良くなった。
ある程度分かり合えた。
そのことに満足してた。

でも、俺は両親にも、諦めを与えてたんだって気付いた。


最近親は俺に言ってくれる。

お前は自分のやりたい事だけをやりなさい。
わたしらのことはわたしら自身でなんとかする。
あんたに迷惑かけるくらいなら、死んだ方がマシだって思ってる。

なんて。

そんな事言わせちゃう俺は正真正銘の糞だと思う。

オカンはこうも言う。

死んだら無になりたいって。
天国にも地獄にも行きたくなんかなくて、もうただ安らかに、何を考える事も無く、何をかんじることも無く、ただ何も無い虚無に帰りたいっていう。
だから申しわけないけど、死んで霊になってあんたを見守ってやる事はできないって。

オカンは、俺を見続けて、そして諦めた。
死後の幸福すら望まず、完全な無になりたいなんて諦めの境地だ。

俺が本気で両親と向き合えてたら、きちんと背負えてたら、きっとオカンこんな考えにならなかった。
それを考えるとすごい苦しくなる。

変わりたい。
仕事していっぱい稼いで、オトンとオカンに将来の不安とかしないでいい生活させてやりたい。

ちゃんと俺自身も誰かから愛されて、「ほら、俺ちゃんと愛されてるから大丈夫だっつーの。あんたらくらい余裕で背負うっつーの」って言ってやりたい。

オカンに「わたしが間違ってた、小さかったあんたにずっと辛い思いさせてた、後悔してもしきれない」なんてもう言わせたくない。

あんたは何も間違ってなかった、俺はあんたの子供としてちゃんと幸福になれたって、俺自身が本当に幸せになる事で証明したい。



こんなに糞になっちゃったのに、怖くて一歩も踏み出せない、やりたくない事、怖いことからただ逃げる事しか出来なくなっちゃった俺に、まだ友達として接してくれる人がいる。

「脱ヒキしろよ」じゃなくて「遊びにおいでよ」って言ってくれる子がいる。

その子はもう結婚してる。
21の頃の職場の同僚だ。
俺その子のこと好きだった。
好きだったけどその子には彼氏がいたし、自分がその子を幸せに出来る自信もなかった。
だから好きだって事伝えないで諦めた。

彼女は会わなくなって5年も経った俺にもあの頃と変わらず接してくれる。
友達として。

本気で変わらなきゃって思った。

また、あの子みたいに俺をちゃんと認めてくれる人と出会いたいと思ったし、その時にちゃんとその人を守れる人間になっていたいって思った。


今まで、優しくて思慮深い人ばかりが不幸になる世の中だって思ってた。

自分が不幸なのは、自分が優しくて思慮深い人間だからだと思いたかったんだと思う。

自分は優しい人間だから奪えないんだ、自分は思慮深い人間だから自分だけ暢気に幸せになんてなれないんだって。

でも違う。

本当の優しさは、本気で望んだなら泣いてせがんで奪ってでも幸せになって、その上で自分を憎む相手から逃げないで向き合うことなんだと思う。

本当に俺が思慮深い人間なら、まず自分が幸せになって、その上で人を幸せにする事を考えるべきだった。


俺はただ嫌な事とか辛い事とか、そういう全てを投げ出して、逃げだして、甘ったるいものにだけ手を伸ばして満足してる甘ったれだったんだと思う。

そりゃ愛されんわな。
こんな俺を認めてくれた人だけじゃなくて、否定してくれた人にも感謝するべきだったんだと思う。
全部、俺自身が自分の過ちに気付いて変われるかも知れない場面だった。
俺はとにかく認めるのが辛くて、怖くて、だから俺を否定する人を片っ端から否定して逃げてた。
これじゃ駄目だ。
愛されない。

俺は心から誰かを愛して、心から愛されたい。
心から認められたい。
幸せになりたい。
幸せにしたい。


今まで逃げてた何もかもと、ちゃんと目を逸らさないで向き合いたい。

「自分のペースで向き合ってけばいいよ。それを見届けるよ」って言ってくれる人がほんの何人かだけどいる。
だからやっぱりまだ諦めるわけにはいかない。
出来る事からひとつずつやってこうと思う。

でも辛い事とかしんどい事からも、それを理由に逃げたりしないでやり抜きたいと思う。

おれまじで変わろうと思う。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[08/04 想太郎]
[05/30 強気受け]
[05/12 RPG]
[04/06 遼]
[04/06 ぼく@@;]
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(06/01)
(06/01)
(06/02)
(06/02)
(06/02)
忍者ブログ [PR]