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昔から、破壊衝動がある。
すごくすごく大事で、絶対に無くしたくない、もし壊れたり無くしたら絶対泣いちゃうだろうなっていうようなものを、自らの手で壊したい願望がある。

この破壊願望の向けられる対象は、物に留まらず、時として自分自身であったりもする。

僕には、僕自身を破壊したい願望がある。
醜いものに汚されて、壊されたい願望がある。


僕がはじめて性的な昂りを感じたのは、中学1年の頃、布団の中でした妄想だった。
それは当時一人だけいた友達の兄に、ちからづくで無理やり脱がされて、とにかく汚い事をされるっていう妄想だった。
まだ具体的な性行為だったり自慰行為だったりっていうのを知らなかったから、とにかく裸にされて汚い事だったり、嫌な事をされる妄想して、それに漠然とした昂りを感じてた。
無論ちんこしばいたり、射精したりもしない。
ただ妄想をして、悶々とするだけだった。


人や動物は、逃れられない暴力を継続的に受け続けると、その暴力に対して快感を感じるようになるという。
それは生存の為の本能的な性質らしい。

小学校の頃、同級生に無理やり押さえつけられて、脱がされたりした事が何度かあったけど、その体験がどの程度僕の性衝動に関係してるかは分からない。

なぜそんな事になったのかといえば、当時の担任の「善意」のせいだ。
僕には生まれつきの肌の病気があって、プールに入ったり出来なかった。
先生にはそれを伝えてあって、先生なりに考えた結果の事だったんだと思うんだけど、先生はそれを朝のホームルームの時に、クラスの皆に打ち明けた。
先生は僕を教卓の横に立たせて「この子は肌の病気があるけど、感染するものでもないし、病気があるからって劣ってるわけでもない。だから虐めちゃいけないよ!」と言った。

無論小学生なんて好奇心の塊みたいなもんだから「この子は皆と違う肌をしてる」なんて言えば、それがどんなものなのか見たくなるものだ。

で、そういう事になった。
もともといじめられっこ体質だった僕は、彼らにとっていい玩具だったんだと思う。
小学生3年から5年になるまでの間、そういう事が何度もあった。

別にその事を根に持ってもいない。
僕が彼らの側だったら、同じ事をしたと思う。
小学生なんてそんなものだ。


それはそれとして、今ここに、歪んだ性衝動がある。

醜いものに汚されて、壊れちゃいたい、という願望がある。
それの為に僕は新宿2丁目で一度だけ体を売った。
声をかけてきた醜いおじさんに、9000円と3000円分の商品券で、売った。

一つ前の日記で「おじさんは僕を女の子のように扱ってくれたから売った」とも書いたけど、それだけなら別に彼じゃなくても良かった。
僕を女の子のように優しく扱ってくれる人は、他にもいた。

ただその中で、彼はお金で僕を買おうとした。
愛を育む事を面倒くさがって、省こうとして、その代価としてお金を差し出してきた。
そこに確かな醜さがあった。
その醜いものに、お金を貰って身を差し出す事は、僕にとって紛れも無い破壊行為だった。
無論後悔をしてる。

すごく後悔をしてるのに、またしたい願望すらある。
友達に必死に止められた。
かつてないくらい、本気で怒られた。
それなのに、またしたい願望がある。

歪んでいく自分を自覚できる。
お金や、幾らかの潤いの為に、体を差し出しちゃってもいいか、と考えたりする。
ほんの幾らかのお金の為に、自分の体を、人を、利用したい願望がある。

多少の躊躇はあれど、それを実行できる人間である事を、この間の10月14日に、自らの行動を以って証明した。

破滅をしたのだと思う。

お金で体を売った事で、確かに破壊されたのだ。
僕はそれまででかい声で撒き散らしてた奇麗事を、ほざく権利を失った。
汚れたのだ。
汚らしい人間になった。
愛の無い相手に、お金で体を差し出す事で。
「まっとうな人間」としての人生は、そこで破滅したのだ。

破滅した事を嘆くべきなのか、破滅願望を達成したと喜ぶべきなのか、今もよく分からない。
破滅した事を嘆く自分に従えばいいのか、破滅を望む自分に従えばいいのか、もうよく分からない。
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結局ぐちぐち言い続けてるだけじゃ状況は変わらないし、それを分かってるのに自分はグチグチと不景気な事を言い過ぎてる。
ここいらで具体的な善処を試みるべきだ。

僕には昔から、女の子になりたい願望みたいなものがあって、別に「オネエ系」みたいなしゃべり方とか仕草をしたいっていうのとも少し違うんだけど、もっと女らしい生き物になりたいっていう漠然とした願望がある。

覚えてる限りでは、まだ幼稚園くらいだった頃、妹は小さいかわいいタオルケットに包まって寝てて、僕はといえば小さい頃から図体がでかかったから、大きいタオルケットでも足がはみ出してて、そのことでなぜかすごく妹に対して嫉妬心があった。

小学生くらいになると、与えられる漫画やなんかに不満を感じた。
少年漫画は僕が欲しがりもしなかったから、うちには妹に与えられる少女漫画だけがあって、僕はそれをいつも読んでた。
男の子に初恋をしたのも小学生の頃だった。

中学高校のくらいになって、自分の中に女の子みたいになりたい願望、女物の服を着たい願望がある事をわりとはっきり自覚するようになったけど、如何せん肌の病気やらなんやらでずっと「気持ち悪い」って同級生から言われてて、僕は自分を「気持ち悪い生き物だ」と思っていて、だから「気持ち悪い僕が女装なんかしたら、いよいよ終わりだ。完全にアウトだ。女装をしたい、女の子が男の子と恋愛をするみたいに、そういう恋愛をしたい、なんて思ってることがバレたらもう首吊るしかない」と思って、自分のそういう願望をとことん隠すようになった。

それから数年、二十歳過ぎるくらいまでは、田舎のヤンキーっぽい口調でしゃべるようになって、不良っぽい服を着るようになって、いわゆるチャラ男みたいな雰囲気を出すようになって、周りからもそう思われるような人間だった。
そうしないと周りに「こいつ女々しい奴だ」とバレるんじゃないかっていう、変な強迫観念みたいなものがあった。

そういう振る舞いを数年続けてるうちに、段々自分の感覚みたいなのが鈍っていって、こう、夢心地っていうか、自分はその夢の中ではもう生粋のチャラ男で、友達と駅前で女の子ナンパしたりしょっちゅうやってて、それが素の自分であるのかどうかも考えなくなってた。

そういう生活が、ふとこの何年か前に唐突に終わった。
理由は色々あった。
女ばっかりの職場だったから、あまりにドロドロしすぎてて疲れちゃったのもあるし、よくつるんでた男友達に彼女を取られちゃって、なんかもう女とか友達とかもどうでもよくなっちゃって、で、仕事もやめて、携帯も解約して、引き篭もりみたいになった。
引き篭もってるとさすがに生きていけないから、最低限の家賃と食費、光熱費を稼ぐために、高校の頃にもやってた新聞配達をはじめた。

朝刊だけを配って、後は暇。
だからネットでゲームをやるようになった。
なぜって、ネットゲームって基本無料でできるからだ。
で、そのゲームでは、最初に自分の使うキャラクターを男と女から選ぶ。

僕はなぜか、女を選んだ。
なにかこう、ものすごく、それに惹き付けられた。
女キャラの造形云々じゃなくて、自分がこれからゲームの世界に入り込むにあたって、女になり、女として扱われるっていう事に、だ。

実際にゲームを始めてみれば、案の定僕を女だと思い込んだ男の子が話しかけてきて、急速に親しくなった。

そうしてるうちに、昔の事をふと思い出した。
小さかった頃、妹に嫉妬してた事。
初恋の相手が男の子だった事。
中学高校の頃は女装をしたい願望があった事。

人にバレたくないという強迫的な観念から逃げる為に作り上げた男としての自分の人間像は、人目に晒されない生活を送るようになってすぐ、簡単に解壊して、跡には小さい頃確かにあったシンプルな願望だけが残った。

女になりたい、女になって男の人と恋愛したい。
女みたいに扱われたい。
女性的な振る舞いをしたい。

でももうその時点で僕はもう20代半ばになっていて、物心ついてからそれまでの期間をただの普通の男として生きてきて、自分を今更変えるのはとても困難だと思った。
親や数少ない友達も混乱するだろう。

なにより、これからもう老いてく一方だっていうのに、女になりたい願望なんてものを認めちゃったら、絶対辛くなる。
今はまだどうにか若者って呼ばれる領域にへばりついてるからいいけど、おっさんになるのなんてあっという間だ。
そのとき、絶対辛くなる。

それなら、このまま今まで作り上げてきた「男としての自分像」に頼って生きた方がいいんじゃないか。
幸いこういったゲイコミュニティを見つける事が出来て、今後も男として生きたって男の人と恋愛できる可能性も出来た。
なら、それで満足するべきじゃないか。
幸か不幸か、今まで通り男らしくしてたほうが、ゲイの輪の中でも人が寄って来る。
じゃあ女みたいになりたい願望は譲歩しちゃってもいいんじゃないか。

っていうのが、今までの僕の基本指針だった。

でもやっぱり、女みたいになりたい願望は消えない。
願望は消えないのに、いわゆる「オカマちゃん」みたいになる事も出来ない。
まずそうする事に抵抗があるし、どうしたらいいのかも分かんない。
背だって180ある。
180のオカマなんて色んな意味で厳しすぎる。
それでも、俺より悪い条件を全て蹴っ飛ばして、女の人みたいに生きてる人もたくさんいる。
そういう人たちって、すごくかっこいいと思う。
本当に、心から尊敬する。
僕はそこまで強くなれる自信がない。

女になりたい自分を認めちゃったら、どうあがいても納得できるレベルの「女性」には近づけない自分の資質に絶望する事になる。

金と時間を注ぎ込めば性転換だって整形だって出来る。
でも身長だけはどうやっても小さくならない。
女の子みたいになるには、180cmの身長は邪魔すぎる。

周りのノンケの男友達からは、180の身長や、男気ある振る舞いを買われてる節がある。
彼らが僕に対して評価する全部が、僕にとって邪魔なもだったり、真実ではない上っ面のハリボテだったりする。
でも彼らはもう10年近くずっと一緒につるんできた友達で、今更切る事も出来ないし、打ち明ける事も難しい。
もし僕が全ての真実を打ち明けたら、彼らがどれほどに戸惑うか、僕にはそれが分かる。
彼らは僕を否定しないだろうけど、でも関係はそれまでと絶対に変わる。
それが怖い。

そんな風にまごついてる間に、数年が経った。

なんだかもうひどく頭が混乱して、どうしたらいいか分かんなくなって、判断力も鈍りまくって、どうしようもない閉塞感だけがあって、2丁目で体を売ってみたりもした。
僕に声をかけてきたおじさんは、声をかけてきたその最初から、女の子に対してするみたいに優しく接してくれた。
だから売った。
現金9千円と3千円分の商品券で。
あと下着とせんべいもくれた。
だから売った。

馬鹿げた事をしたとも思うけど、ある部分では満たされた気持ちにもなった。
おじさんは女の子にするみたいに僕の全身を愛撫して、舐めた。
小さい頃あれだけ同級生から「気持ち悪い、怪物みたい」っていわれたこの肌を、だ。
僕のことをかわいいかわいいって何度も言ってくれた。
かわいいだなんて、セックスをする時、女の子に対して僕自身何度も言ってきた言葉だけど、アホくさい陳腐な言葉だといつも思ってた。
でもおじさんの腕の中で聞くその陳腐な言葉は、なぜか僕が口にしたものと別のものであるように思えた。

おじさんが僕の下腹部に腰を埋めながら涙を流してた。
君を抱いてるとなぜか切なくなるとか訳の分からない事を言って泣いてた。
陰鬱に曇った日だった。
去年の10月14日の事だ。

家に帰って新聞を配って、そのあと少し泣いた。
パソコンの前にある椅子の上にしゃがんで、女の子みたいにぐじゅぐじゅ泣いた。
確固たる理由なんて無くても、涙なんて勝手に出てくるものなのだ。
おじさんが流してた涙もいわばそういう類のアレだったのかもしれない。

10月の終わりごろに脈略も無く彼女が出来た。
ギターもって調布の駅を歩いてたらいきなり声をかけられた。
なんか心の病気の持ち主らしくて、彼女のお母さんも彼女への対応に疲れ果ててて、僕と付き合えればいくらか心が楽になるみたいな事を彼女が言い出したから、僕はその申し出を受諾した。
彼女のお母さんはそれ以降毎月僕にこっそり3万円くれる。

彼女の頭を撫でて、優しい言葉をかけてやるたびに、思う。
ほんとは自分も「こっち側」じゃなくて「そっち側」がいいって。
でも与えられた役割は「こっち側」で、それをする代わりに代金も貰ってるわけだから、僕は求められたものを提供する。
多分彼女のお母さんがお金を支払わなくなるか、もしくは彼女の病状がいくらか改善したら関係はあっけなく終わると思う。


そんな感じで今に至る。


頁をめくればきっとまた別の何かが起こる。
それを望む反面、恐れや諦めもある。

ひどい混乱が今も頭を支配していて、今後どうすればいいのか、うまく考える事が出来ない。

いっそ180センチのオカマにでもなって、威風堂々と2丁目の街角にでも立ってみれば、世界は変わるだろうか。
抜け出せるだろうか。
抜け出した先にある世界は、今僕がいる場所よりマシだろうか。
僕はその選択がもたらすであろう困難に耐えられるだろうか。
今までと違う生活を獲得するために捨てたものを後悔しないだろうか。

明るい考えと暗い考えが交互にやってきて、いつまで経っても答えが出ない。
ただ流れに身を任せるままに、やってくる明日をルーチンワークで昨日に塗り替えていく。
そんな感じで今日もそろそろ新聞配りに行く。

具体的な善処の試み云々って最初に書いたけど、どうもうまくいかなかった。
適当に文字にしてみれば、もうちょっと明るい方向に話がすすむと思ったけど。
まあそういう事もある。
善処を試みるには、現状を把握しなきゃならない。
今、これはつまりその現状把握の段階だ。
順序を辿って、段を重ねて、然るべきタイミングで善処に取り組めばいい。
まあ言い訳だけど。
とりあえず新聞配ってくる。
不幸の連鎖の原理がやっとちょっと分かった。


人が不幸な生き方を選ぶ理由の多くは、やっぱり諦めなんだと思う。
下半身不随になっても、事故で脳性麻痺になっても、自分の人生を諦めないで幸せになってる人は沢山いる。
俺の知り合いにもいる。


悲惨な出来事が人を不幸にさせるんじゃなくて、諦める事が最も人を不幸にさせるんだと思う。

人が心から望むものを諦める時、何がそうさせるのかを超考えた。

それは、誰からも理解されない、誰からも認めてもらえない、誰からも必要としてもらえないっていう状況なんだと思う。

今ここにいる自分を誰かに認めて欲しい、自分が心の奥底に抱えてるものを誰かに分かって欲しい、自分っていう人間を心から必要として、自分が下手こいても見限らないでいて欲しい。

そういう願望が全く叶わないまま、その願望のためにした努力が報われないまま生きてると、人はやがて望む事を諦めてしまう。

望んだって無駄。
望んだって辛いだけだし。
なら望まないのが一番だよねっていう風に。


どこかで自分の声にリアクションしてくれる人が現れても、その自分を認めてくれる声を心から信用する事が出来なくなる。

どこかで自分を本当に愛して必要としてくれる人間が現れても、その人が自分に傾けてくれる愛情を愛情だと感じ取れなくなる。


そして自分自身が誰からも認めてもらえないまま、自分が愛されてる実感を得ないまま、誰かを心から認めたり深く愛するなんて事は出来ないんだと思う。


そして愛せない、愛されない、認めてもらえない、認める事が出来ない人が増えると、その諦めた人たちに四方を囲まれた人もやっぱり愛してもらえないし認めてもらえないから、やがて自分の心からの願望を諦める。

そうやって、諦めは拡散されていくんだと思う。


俺もまさに、ほんの今の今まで諦めを撒き散らす側だった。
俺自身、もう愛される事なんてほんと諦めてた。
いくら俺が本気で自分の心を曝け出したって、誰も見向きもしてくれないし、こんなの認められっこない、理解なんてされっこないって思って諦めてた。

愛されたい、認められたい、でも無理。
だからわりかし簡単に手に入る種類の幸福にだけ手を伸ばして、そういうもので人生を埋め尽くして、本当の本当に一番望むものを覆い隠して見えないようにして、そうやって満足する。

俺は、この5年間ずっとそうやって生きてた。

諦めた俺のする何もかもが、誰かの諦めを助長してきたんだと思う。
いくら俺が誰かに希望とか可能性を説いたって、それはやっぱり所詮「諦めた奴の言葉」でしかなかったんだと思う。
そんな俺の言葉は誰にもとどくはずなんて無い。
だから何も変えられなかった。

ほんとに心から糞だったと思うし、この何年かで関わりあった人全員に申しわけないって思う。

俺変わりたい。
本気で変わりたい。

ほんとは愛されたいし、幸せになりたい。
ずーっと目を逸らしてた幸せな風景を目の当たりにして、やっとそう思えた。
目を逸らしちゃえば楽だって分かってるのに、出来ない。
自分が本当の本当には何を望んでるのか、俺自身ほんとはずっと分かってたからだ。

本当に心から深く誰かを愛して、誰かに深く愛されて、認めてもらいたくて、認めてあげたかった。
それが本当に心からの俺の一番の願望だった。
ずっと。


両親と俺はずっと昔から仲が悪くて、でもここ数年で超巻き返しを図って仲良くなった。
ある程度分かり合えた。
そのことに満足してた。

でも、俺は両親にも、諦めを与えてたんだって気付いた。


最近親は俺に言ってくれる。

お前は自分のやりたい事だけをやりなさい。
わたしらのことはわたしら自身でなんとかする。
あんたに迷惑かけるくらいなら、死んだ方がマシだって思ってる。

なんて。

そんな事言わせちゃう俺は正真正銘の糞だと思う。

オカンはこうも言う。

死んだら無になりたいって。
天国にも地獄にも行きたくなんかなくて、もうただ安らかに、何を考える事も無く、何をかんじることも無く、ただ何も無い虚無に帰りたいっていう。
だから申しわけないけど、死んで霊になってあんたを見守ってやる事はできないって。

オカンは、俺を見続けて、そして諦めた。
死後の幸福すら望まず、完全な無になりたいなんて諦めの境地だ。

俺が本気で両親と向き合えてたら、きちんと背負えてたら、きっとオカンこんな考えにならなかった。
それを考えるとすごい苦しくなる。

変わりたい。
仕事していっぱい稼いで、オトンとオカンに将来の不安とかしないでいい生活させてやりたい。

ちゃんと俺自身も誰かから愛されて、「ほら、俺ちゃんと愛されてるから大丈夫だっつーの。あんたらくらい余裕で背負うっつーの」って言ってやりたい。

オカンに「わたしが間違ってた、小さかったあんたにずっと辛い思いさせてた、後悔してもしきれない」なんてもう言わせたくない。

あんたは何も間違ってなかった、俺はあんたの子供としてちゃんと幸福になれたって、俺自身が本当に幸せになる事で証明したい。



こんなに糞になっちゃったのに、怖くて一歩も踏み出せない、やりたくない事、怖いことからただ逃げる事しか出来なくなっちゃった俺に、まだ友達として接してくれる人がいる。

「脱ヒキしろよ」じゃなくて「遊びにおいでよ」って言ってくれる子がいる。

その子はもう結婚してる。
21の頃の職場の同僚だ。
俺その子のこと好きだった。
好きだったけどその子には彼氏がいたし、自分がその子を幸せに出来る自信もなかった。
だから好きだって事伝えないで諦めた。

彼女は会わなくなって5年も経った俺にもあの頃と変わらず接してくれる。
友達として。

本気で変わらなきゃって思った。

また、あの子みたいに俺をちゃんと認めてくれる人と出会いたいと思ったし、その時にちゃんとその人を守れる人間になっていたいって思った。


今まで、優しくて思慮深い人ばかりが不幸になる世の中だって思ってた。

自分が不幸なのは、自分が優しくて思慮深い人間だからだと思いたかったんだと思う。

自分は優しい人間だから奪えないんだ、自分は思慮深い人間だから自分だけ暢気に幸せになんてなれないんだって。

でも違う。

本当の優しさは、本気で望んだなら泣いてせがんで奪ってでも幸せになって、その上で自分を憎む相手から逃げないで向き合うことなんだと思う。

本当に俺が思慮深い人間なら、まず自分が幸せになって、その上で人を幸せにする事を考えるべきだった。


俺はただ嫌な事とか辛い事とか、そういう全てを投げ出して、逃げだして、甘ったるいものにだけ手を伸ばして満足してる甘ったれだったんだと思う。

そりゃ愛されんわな。
こんな俺を認めてくれた人だけじゃなくて、否定してくれた人にも感謝するべきだったんだと思う。
全部、俺自身が自分の過ちに気付いて変われるかも知れない場面だった。
俺はとにかく認めるのが辛くて、怖くて、だから俺を否定する人を片っ端から否定して逃げてた。
これじゃ駄目だ。
愛されない。

俺は心から誰かを愛して、心から愛されたい。
心から認められたい。
幸せになりたい。
幸せにしたい。


今まで逃げてた何もかもと、ちゃんと目を逸らさないで向き合いたい。

「自分のペースで向き合ってけばいいよ。それを見届けるよ」って言ってくれる人がほんの何人かだけどいる。
だからやっぱりまだ諦めるわけにはいかない。
出来る事からひとつずつやってこうと思う。

でも辛い事とかしんどい事からも、それを理由に逃げたりしないでやり抜きたいと思う。

おれまじで変わろうと思う。
本気で愛されてみたい。
本気で愛してみたい。

エロゲや漫画であるみたいな、超ときめく大恋愛とかしてみたい。
この人の為なら死ねるって思えるくらいの恋がしたい。

正直ほんとにもうほぼ諦めてる。
まずありえないだろって。
普通に生きてる人だって本当の相思相愛なんて滅多にない。
大抵の人がどこか妥協で付き合ってる。

で、俺は普通の人並みにも人付き合いが出来ない。
もうこれ完全にアウトだろって思う。

ただ、それでもやれる限りの事をやってみようと思う。
それで駄目だったらもう吊ればいいじゃないかと思う。

とにもかくにも愛ってものに触れてみたい。
今更この年になってリアル青春ごっこしたい。
本気でしたい。
信頼できる人間ってものに出会ってみたい。

無理でもいいから色々試してみたい。
同じ気持ちの人いないかな。
いたら友達になりたい。
ここのところずっと鬱気味になってた。
多分5月のにおいのせいだ。


信じるに価するものがこの世に本当に存在するのか。
こんな俺を愛してくれちゃう人間が本当にこの世界に存在するのか。

そんなものが存在するなんて、とても俺には信じらんない。

人は言う。
いつか出会えるよって。

でも俺たちは俺たちなりに自分の声で愛されたい事を、ここにいることを示して、
だけどそれでも見つけてはもらえなくて、選んではもらえなくて、
結果として諦めた。

それが、今のところ俺らにとっての全てだ。

だから、「いつか出会える」なんて言葉、やっぱり信じらんない。

本当に愛してくれるひとがいるなんて、ホントに信じられるものがこの世にあるなんて、信じらんない。


でも、俺はやっぱり探す事をしてみようと思う。

正直諦めてるよ。
もうかなり諦めてる。

俺は肌の病気があるから肌年齢とかもう70歳超えてる。
こんなの女の子から絶対愛されっこない。
見た目きもいし。
分かってる。

俺が引き篭もったのは、21歳の頃に、親友に恋人を取られちゃったからだ。
リア充め!なんて言わないで。
それまで相当うらぶれた人生だったし、超死ぬほど頑張って行動起こしてやっと出来た彼女だったんだ。
付き合って1ヶ月で友達に取られちゃったけど。

そりゃ、こんなヒキコモリ体質のネクラよか、頼もしくてかっこよくて仕事もしてる奴を普通選ぶよなって思う。
彼女の選択は正しい。
友達だって彼女の事を好きになっちゃったんだ。
恋って理屈じゃない。
だからしょうがない。

しょうがないって分かってるけど、ちょっとしんどかった。
不眠症になったし、仕事もまともに出来なくなって、人とまともに話せなくなった。
人と関係を築く事が怖くなった。
どうせ俺が信じたら、また裏切るんでしょって。

で、ヒキコモリになって今に至るわけだけど。


やっぱり俺は、もう少し探す事をしてみようと思う。

愛してくれる人を、信じられる相手を、探してみようと思う。
出会えてもまたうまく出来なくて見捨てられるかもしれない。
また前と同じ目に遭ったりしたら、正直多分耐えられない。

友達にも恋人にも「許すよー。だってお互い好きになっちゃったならしょうがないもんね」なんていってヘラヘラしてたけど、信じてた人間に恋人取られるって、正直なところ死にたくなるくらいしんどい。
死ぬ事ばっかり考えるようになっちゃうくらい辛い。
だから今だって死んだように生きてる。

でも、こんな風に死んだように生きつづけるくらいなら、いっそもう一度当たって、それでも駄目で砕けて死ぬならそれもいいかなと思うようになった。

単純に年のせいかもしれない。
もう27だし。
次28だし。
これ以上めそめそ不景気撒き散らして生きるなら、もうここで当たって砕けようと思う。
いや、ぶち当たる相手もいないんだけど。
死ぬ気で脱ヒキして仕事でもして、あっちこっち出向いて、出会いとか探してみようと思う。

滑稽だと思う。
恥ずかしい奴だと我ながら思う。
多分実際にやってもキョドってキモがられて終わると思う。

でも、やってみようと思う。

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